風来坊はかつて会長の大坪が北九州市門司で妻・淑子と営んでいた
二人で小さな店がはじまりだった。
十人も座れば満席というほどの店である。
ここで客に請われるまま、メニューにない鶏の唐揚げを出したところ
大いに喜ばれた。
その時、彼の脳裏にひらめくものがあった。
それは「ターザン焼き」として実を結んだ。
若鶏の半身をそのまま揚げて焼くダイナミックな料理で、
それに熟成して生み出した秘伝のタレをつけ、各種の調味料で味をととのえる。
鶏料理の本場といわれる九州で磨いたこのタレを身につけ、
名古屋にやってきた大坪は、熱田区比々野に記念すべき一号店を開いた。
ある日、いつものように仕入先へ出掛けた大坪は、
そこに山のように積まれている「手羽先」をみた。
いつも見る「手羽先」が、なぜかこの日は、違ったものに見えた。
手羽先といえば、スープの材料程度にしか使われていなかった時代のことである。
この頃、店では前述の「ターザン焼き」を主力メニューに鶏料理全般を出していた。
「この手羽先に、あのタレをつけたらどうか」
決断すると早い。さっそく彼は、手羽先をメニューに加えた。
自信はあった。予想通り売れた。
というより、予想を上回って売れたというべきか。
半身ごと丸揚げというターザン焼きのボリュームには手がでなかった客も、
この手羽先の軽くて美味しく、
しかも安いという三拍子揃った魅力に一発でまいった。
またたくまに、売れ行きナンバーワンのメニューとなったのであった。